1月4~7日 シャルムエルシェイク、カイロ
およそ1カ月半続いたヨーロッパでの旅を終え、この旅最大の山場である東アフリカ縦断の準備のため再びエジプトに訪れた。
飛行機でイギリスのマンチェスターから、西欧諸国、地中海を越え、エジプトのシナイ半島最南端のリゾート地シャルムエルシェイクへ。元旦の夜明け前をロンドンの公衆トイレで過ごした際、少し話したスロバキア人の男性に、2カ月以上もかけて北上した距離をたったの6時間で逆走してしまうのはあっけないねと言われていたが、僕には6時間のフライトですらとても長く感じられた。
アフリカが楽しみだったからというのもあるが、なによりもエジプトでもう一度アラブの地を踏めることが何よりも嬉しかったのである。
エジプトでの滞在期間は3日間。リゾートでのんびりしている暇はさすがになかったので、シャルムエルシェイク空港に到着したその足で夜行バスに乗って首都カイロまで直行することにした。
空港からバス乗り場へ直接移動できるタクシーに乗ると、一般のタクシーの10倍もの値段をふっかけられる。僕は空港から歩いて近くの国道まで行き、無事通常価格のタクシーを捕まえることに成功した。なんでも便利なヨーロッパの後だけに、こういった途上国ならではの苦労に慣れるのも、エジプトをはさんだ理由のひとつである。
夜行バスはシナイ半島の岩山地帯を6時間走り続ける。
バスの窓から見える岩山は月明かりに照らされ、昼間の殺風景な姿とは打って変わってとても幻想的だ。ここが旧約聖書の舞台の一つであるという情報も相まって、神々しさすら感じるほどである。
もしも今までで一番印象に残った地域はどこかと聞かれたら、今の段階ならば迷わず中東を挙げるだろう。
目に飛び込んでくる光景も、肌で感じられる文化も、複雑に宗教と絡み合う歴史も、すべてが日本とはかけ離れているからなのかもしれない。日本人の僕からすれば圧倒的に非現実的なこのイスラムの世界には、きっと思いもよらぬ魅力がまだまだたくさん眠っているのだろう。
そんなことを考えながら眠りに着く。前回もそうだったが相変わらずこの区間の夜行バスはよく眠れた。
カイロの中心地タハリール広場には前回と全く変わらない騒々しい光景がそこにあった。けたたましく鳴り響くクラクションや無作為に車が行きかう大通り、マーケットで男たちが発する怒号にちょっかいを出してくる若者たち。
久しぶりにそのような光景を前にしているにもかかわらず、いよいよ旅も5カ月を迎えようという僕は、なぜかこの街を完全攻略する自信があった。
1度目の滞在でエジプト人に対するいなし方みたいなものをある程度心得ているはずなので必要以上に絡まれることはないだろうし、この辺りの地理は大体頭に入っている。大量の車もしっかりと周りを注意していれば何も危険ではない。そして移動に疲れたら、街中至る所に点在する喫茶店でチャイを飲みながらシーシャを吹かせばそれはもう旅行者と言うより立派な現地人だろう。
と、意気揚々と宿へと歩き出してから早1時間、道に迷って、エジプト人に絡まれ、逃げ込むようにカフェに入って地図とにらめっこしている僕はまだまだ旅の初心者らしい。
3日間はあっという間に過ぎて行った。アフリカ旅行で必要なものを購入し、安全に旅をするための情報収集。どれも予想以上に時間がかかってしまったのだ。余った時間でルクソールの王家の谷やアブシンベル宮殿を訪れようかなどと余裕をかましていた昨日の飛行機の中が懐かしい。
とはいえ、せっかくのエジプト再訪をショッピングとパソコンだけで過ごしていたわけではない。カイロでは人に会う予定もあった。
前回エジプトを訪れた時に仲良くなったマレーシア出身のムスリム(イスラム教徒)の女の子で、カイロの大学で医療を学んでいる。
彼女とその友人たちにカイロの中でもひと際大きなショッピングモールに連れて行ってもらい、彼らが通う大学構内や学生寮(大学の周りに学生街なるものが存在する)も案内してもらった。
マレーシアの医学部生がエジプトの大学に留学するというのは比較的ポピュラーな進路だそうだ。エジプトの医学部は、意外なことに、と言うと失礼だが、国際的に見ても教育の水準が非常に高く、イスラム圏であるということもあり特にマレーシア出身のイスラム教徒の学生にはかなり人気があるらしい。
その他にも彼らの話をたくさん聞き、僕も旅の話や日本の話をたくさんした。
同じアジア圏出身だからというのもあるのだろうか、僕のつたない英語でもすぐに打ち解けることが出来るのだ。
彼らと食事をしながら話をする時はもちろん、買い物をしているときも、寮でみんなとテレビゲームをして遊んでいる時も、日本で友人たちと過ごす時間のように心地よく、お互いに楽しむことが出来たと思う。
旅先で連絡先を交換する外国人はたくさんいても、心からその後も交流を続けたいと思える友人が出来るのは稀だ(少なくとも僕の場合は)。それは一重に僕の英語力のなさのせいで深いコミュニケーションを図れないからなのだろうけれど、だからこそ英語力が乏しい段階でこういう友人が出来ると、人と人との友情というのはコミュニケーションだけで育まれるものではないんだなあと改めて考えさせられる。
そして何より、日本から物理的にも文化的にも遠く離れたアフリカ大陸にすら、信頼できる友人がいるというのはとても心強いし、こんな僕と付き合ってくれる彼らに感謝せずにはいられない。彼らへの最低限の礼儀として次に会う時はさすがにもう少し英語力を上げて、彼らの持つ文化についてももっと勉強しておかなければ。
アフリカ旅行で必要なものの買い物と、情報収集と、友人との再会で、2回目のエジプト滞在は終わってしまったが、彼らのおかげで精神的な準備もきちんと整えることが出来た。
この喧騒のカイロの一角に、僕にとって温かい居場所があることを確認できたことは大きな自信につながるだろう。
最終日の夜、喫茶店でチャイとシーシャを頼んだ。大好きなこのチャイとシーシャの文化も今日を最後に当分はお預けだと思うと、名残惜しい。
どこまでも奥深いこのイスラムの地を、次に訪れる時はもっともっといろんなことを知っていて、現地の言葉も少しは話せる状態で訪れたい。そう思える土地に出会えたことは、とても幸せだと思うし、これこそ旅の醍醐味だろう。
と、出発まで時間もないのにだらだらと物思いにふけった後、未練がましく最後に一口シーシャを吹かし、急ぎ足で空港へと向かった。