2012年12月20日木曜日

イタリア入国

12月2,3日 ドブロブニク(クロアチア)~スプリト(クロアチア)~アンコーナ(イタリア)




5日もいたドブロブニクを後にし、クロアチアからイタリアへのフェリーが出港するスプリトという港町へ向かう。片道1600円のバスはアドリア海に面した海岸を延々と走り、その素晴らしい景色を見せて続けてくれた。

ドブロブニクは自分にとって忘れられない場所になった。特に3日目、旧市街と海をセットで見ようと、苦労して山を登って探し当てた誰もいない古びた展望台。あそこから、旧市街とその周りに広がる海岸、そして太陽に照らされたアドリア海を一度にまとめて見た時の感動は到底言葉にすることができない。大げさじゃなく涙が出そうになるほどの喜びとなぜか切ない気持と、いろんなものへの感謝が一気に押し寄せた。
「アドリア海の真珠」という呼び名すらも陳腐なものに思えてしまうほどのその素晴らしい風景を眺めながら、自分でも驚くほどの感動を覚えつつ、それと同時に、これほどの体験は一生のうちにそう何度も経験できるものではないのだろうなと思った。
日本に帰って大学を卒業して仕事を始めても、ここにまた来ることはできるけれど、二回目はもう色あせて見えてしまう可能性もある。
それにもしかしたらあの日あの景色にあれほど感動したのは、単にドブロブニクの景色が素晴らしかっただけではなくて、長旅の最中というシチュエーションや、やっと展望台を見つけたという達成感、そしてあの時の僕の心境が絶妙にマッチしたからなのかもしれない。
人生に二度目はないとはよく言われるけれど、あの日ほどそれを痛感した日はない。その時のシチュエーションとか自分の立場や心境でしか出会えない毎日のちょっとした感動をもっと大切にしないと、と思った。
まあドブロブニクは絶対また行きたいけれど。

スプリトに到着し、夕食を済ませ、予約していたフェリーに乗り込んだ。
僕の予約した寝室は3人部屋だったのだけど、客が少ないらしく部屋には僕1人だった。長距離フェリーに乗ったのは初めてだったが、これが想像以上に豪華だった。タイタニック号さながら、というのは少し言い過ぎだが、あれよりも明らかに格下、と断言することもできない。それぐらい豪華だった。レストランにバー、あとダンスホールのようなものまであって、朝食も有料だがバイキング形式でかなり豪勢なものが食べられる。しかも僕は頼んでいなかったのになぜか無料で食べさせてくれた。
なんだかちょっとした高級ホテルに泊まっているような感覚になって、テンションが上がってきた僕は、寝室に荷物を置いてフェリーの中を徘徊した。歩きながら、どう見てもどこかのホテルにしか見えないこの船の内装に子供のように気分を高揚させていた。
そういえば子供のころに家族で旅行をした時なんかは、なぜかホテルで過ごす時間が一番の楽しみだった。ホテルの中の色々な施設を試したり、大浴場ではしゃいだり、ホテル内のゲームセンターで遊んだりするのが楽しかった、というのもあるが、きっと充実した一日を振り返るその時間が心地よかったのだろう。
そしてそれは世界一周をしている今でもあまり変わっていないかもしれない。昼間、外をうろついている時よりも宿でその日一日を振り返っている時の方が満たされた感覚になる。そして明日は何をしようかと考えを巡らせる時間も同じように心地よさを感じる。
一日を振り返って満たされ、明日のことに考えを巡らせてわくわくするような毎日を日本に帰ってからも続けられたらどんなに幸せだろう。なかなかそれは難しいとは思うけれど。もしかしたら今こんな風に思っていることすら忘れてしまうほどに日々の生活に追われてしまうのかもしれない。
と、最後はなぜかネガティブな考えに着地してしまった。
ひとしきり見て回った後、気分転換にデッキに出てみる。
当たり前だけど、そこは身を切るような寒さだった。そして驚くほど暗い。気を抜くとここが海の上だと忘れてしまうほどに海も空も真っ黒で、言いようのない恐怖を覚えるほどだ。
そんな中で遠くでしっかりと輝く灯台だけが、ここが海の上であっちが陸なのだと確認させてくれた。
今は船もレーダーなんかを使ってどこが目的地なのかも確認できるのだろうけれど、昔は船乗りにとって、灯台は本当に重要だったんだろうなとこれまた当たり前のことを思った。
灯台の重要性を実感して満足した僕は、ようやくおとなしく部屋に戻って眠った。

次の日アンコーナに到着してから、ほとんど街の風景を見ぬまま、近くの予約していた宿に向かった。明日からがイタリア本番だ、というよく分からない決まりを作ってしまっていた僕はそのまま宿から出ることなく。一日を終えた。




~この日撮った写真~


出港時、フェリーから見たクロアチアの歴史都市スプリトの夜景。


2012年12月10日月曜日

ドブロブニク5日間

11月27~12月1日 ドブロブニク

ドブロブニクはこの旅の中でも最も印象的だった場所なのですが、感動しすぎてブログ用の下書きを書くのを完全に忘れていたので今回は写真だけです。。

コソボを夜7時に出発し、深夜に経由地のモンテネグロで凍えながらドブロブニク行きのバスを待ち、乗客が僕を含めて2人しかいないオンボロバスで5時間かけてようやくたどり着いた時にバスから見えた旧市街の景色。

町はすごく綺麗にされていて、世界遺産に住む人々の景観保持に対する意識の高さに感服。

宿も史上最高のクオリティ!

旧市街へ。

旧市街は城壁に囲まれていて、ここは城門。壁には「どんな黄金と引き換えであっても、自由を売り渡してはならない。」と、とても良いことがラテン語で刻まれていると聞いていたので探してみたのに、見つからず。

城門に登って旧市街を一周することができて、これは城門の上から見た外の景色。



旧市街の中でも普通に人々が生活をしている。


敵船を監視するための施設、

から見た景色。この眺めだけは何百年も前から全く変わらないんだろうなー、としみじみと眺めていたら、モーターボートが爆音で横切りました。

お気に入りの写真その1。海洋貿易として栄えたこの街の歴史が感じられる場所のひとつです。

お気に入りの写真その2。一面オレンジ色。一か所だけ修復中で黄色いシートがかぶせてあってすごく目立ってしまっているのだけど、それが逆にこの一面のオレンジ色を保つ難しさを教えてくれて、街の人々の景観保持に対する意識の高さに感服。(2回目)

メインロードのプラツァ通り。

街の中心部の時計台。ここがあの魔女の宅急便で出てきた時計台か、と思いながら見てたけど、魔女の宅急便のモデルはストックホルムだと後から知った。



博物館で見たクロアチア独立紛争時のドブロブニクの様子。ここからの復活ぶりに、街の人々の景観保持に対する意識の高さにry。

世界最古の植物園。の付属の昆虫博物館。の上の階になぜかあったサメのはく製。

世界最古の薬局兼博物館の玄関口。中は撮影禁止だったのですが、入場料がたしか500円程ほど。でも係りの人がやさしくて、僕が学生でひとりだと分かるとタダで通してくれました。展示物は中世(12~16世紀)の活字印刷物や硬貨など本当に貴重なものばかり。係りの人は実はゲイで帰り際に誘惑されたけれど。



2時間くらい山を登ったり下ったりしてやっと見つけた展望台からの眺め。写真では伝わりにくいけれど、ドブロブニク滞在期間、いやこの旅一の絶景でした。

ドブロブニクはみかんだらけで、それがただでさえ綺麗なドブロブニクの街並みにさらに彩りを加えていたりします。そしてみかんが安い。1個10円。


城壁の途中にそびえる要塞。



お気に入りの写真その3。最終日に宿の近くのビーチにて。いつか住んでみたい街のひとつです。

これで東欧諸国の旅は終わり、次は西欧へ。

2012年12月7日金曜日

コソボ2日目

11月26日 プリシュティナ

 
この日は快晴だった。プリシュティナはベオグラードに比べて大分暖かく、空気もカラッと乾燥していてとても過ごしやすい。
そしてこの街の地形はヨルダンのアンマンのそれとよく似ていた。町の中心部はいくつかの丘によって囲まれていて、中心部には銀行や大学、行政機関など、この国の中枢を担う建物が並び、それらを囲む丘の斜面には住宅が立ち並ぶ。

町の中心部にたどり着くまでの住宅街は、簡素な家が並ぶ一方、高級住宅や、ところどころにマンションなども見られ、幅広い所得層が同じ空間で生活をしている。

 
そんな風景を眺めながら坂を下り、この街で最も人が集まると言われる通りに出た時、そこには驚くべき光景が広がっていた。
まず道行く人々の数がベオグラードとは比べ物にならないほど多い。老若男女問わず様々な人たちが通りにごった返し、それはまるで日本の都心部を見ているような人口の密集ぶりである。

 
その通りの脇に立ち並ぶ建物には高級ブランドから格安のファストフード店まで、ジャンル、価格問わず色々な種類の店舗が入っている。そして近くの幹線道路からは、イスタンブール以来聞くことのなかったクラクションのけたたましい音が聞こえてきた。
とても4年前に独立を宣言した国の光景とは思えなかった。きっとこれからもチャンスを求めて様々な国からの移民が増え続け、コソボはますます発展していくのだろう。

プリシュティナを散策していて考えさせられたことが一つある。
ここに訪れた人なら誰もが驚くと思うのだが、街の至る所アルバニアの国旗が掲げられているのだ。いや至る所というより、街が国旗で埋め尽くされているといった方が正しい。まず、ほぼ全ての建物にアルバニアの国旗が掲げられている。そして多くの車が国旗をなびかせて走っており、露店の店員などの制服がアルバニア国旗を模したTシャツだったりする。その他にも様々な場所に国旗のデザインが使われていて、歩いていてあのデザインを見ない瞬間はない。
 
かつてユーゴスラビアのコソボ自治区の人口はアルバニア人が大半を占めていて、そのことがコソボの独立と、悪名高い民族浄化を打ち出したセルビア軍によるコソボ破壊活動の最大の要因である。そしてセルビアをはじめ、多くの国家はまだコソボをアルバニア人の国として認めていない。そんなコソボ国民にとってこの国旗はここがアルバニア人国家であると示すための大切なシンボルなのかもしれない。
平和な時代の日本で生まれ育った僕は国家とか民族なんて深く考えたり学んだりしたことがないけれど、コソボのように民族の存続の危機を経験した国や、近隣諸国と常に緊張関係にある国の人々からすれば、そういう知識や意見を持たないというのはきっととんでもない馬鹿なことに見えるんだろう。
別にそういった知識や意見が今後も必要になることはないとしても、単なる教養としてでも、しっかりと学んでおくべきことなのかもしれないと思った。
一方で、そんな日本に生まれたことに対する感謝も感じる。国家や民族なんてものを深く考えずに、自分の生きたいように生きられる国に生まれたというのは、経済的に豊かな国に生まれたことと同じくらいに恵まれたことなんだろう。

日が暮れかかった頃、プリシュティナに到着した時と同じバスターミナルへ向かった。
これから西隣のモンテネグロを経由して、クロアチアのドブロブニクへ向かう予定だ。ドブロブニクはヨーロッパの中でも絶対に訪れたい場所のひとつで、正直ブルガリア、セルビア、コソボは、そのための経由地くらいにしか考えていなかったのだけど、この3国では大切なことを沢山学ぶことが出来た。
寒々として活気がなく、殺伐とした雰囲気が漂っていると思っていたこの国々は、実は穏やかで温かく、日本とは全く異なる価値観を見せてくれた。なにより活気あふれる雰囲気の反対は殺伐とした雰囲気ではなく、平穏という魅力もった雰囲気であることを教えてくれた。できることならもう一度あのドナウ川の風景を見にベオグラードへ戻りたいくらいである。

アルバニア国旗を模したTシャツを着た露店の若い店員が作ってくれたサンドウィッチを胃に詰め込んで、モンテネグロ行きのバスに乗り込んだ。



~この日撮った写真~
旗の多さ。




コソボ紛争にてNATO軍の最高司令官としてコソボを救ったビルクリントンの銅像。

丘の上から見下ろしたプリシュティナ中心部の様子。

食べ物は基本的にセルビアと同じだった。
 


2012年12月6日木曜日

コソボ1日目

11月25日 ベオグラード~プリシュティナ

正午にバスに乗り込み、コソボへと向かう。
いつもなら移動は夜行バスで時間と宿代を節約するところだが、トルコからセルビアまでどの国も一国の滞在期間が短く首都しか観光出来ていなかったので、昼間のバス移動で地方の様子も見て回ることにしたのだ。

バスの運行ルート上、主要な街は一つも通らず、窓から見えたのは小さい町ばかりだった。でもそのおかげでセルビアの田舎の風景を存分に味わうことができた。昼間のバス移動を選んで正解だ。
山間の湖の周りにぽつぽつと小さな家が点在する町、渓谷のど真ん中に通された幹線道路の両脇に家が並んでいる町。畑で農作業をする人がいたり、子供が犬と遊んでいたり、ときどき羊飼いの姿なんかも見ることが出来る。そんな風景の中、夕暮れ時に家の煙突から煙が上がる様子は、まさに僕が抱くヨーロッパの田舎のイメージそのものだった。

 
ある国の都会から田舎、田舎から都会へと移動することは、日本から海外に出ることと同じくらいのカルチャーショックを得られるような気がする。
ガイドブックに何の情報も載っていないような田舎に訪れ、何も分からず不安な中でその土地の人々と信頼関係を築き、ときどき彼らの家にお世話になる。そして素朴な生活に心細くなったら都会に行って、その圧倒的な発展度合いに改めて驚き、そしてまた何の情報もない田舎へ。
世界中の国々を駆け巡る今の旅のスタイルも最高に楽しいけれど、いつかヨーロッパで気に入った国を半年くらいかけてゆっくりと回る旅もしてみたいと思った。

コソボの首都プリシュティナに着いた頃、もう辺りはすっかり暗くなっていた。
ひとまずバスターミナル内の露店で適当にファストフードを頬張り、ネットにつながる場所を探す。この時驚いたのは街中WiFiだらけだったことである。
ほとんどの建物からwifiの電波が漏れだしていて、しかもパスワードの必要もないものも多い。そして無料wifiスポットなるものもところどころと置かれている。勝手にコソボのことを何もないド田舎だと思い込んでいた僕にとって、この状況はかなり意外だった。

その後、あらかじめ予約しておいた宿までタクシーで向かう。この宿はプリシュティナでも有名なホステルで、値段の割にとても清潔なところだった。案内された部屋は3ベットの共有部屋だったが、オフシーズンで客が少ないらしく、僕1人でその大きな部屋を占領させてくれた。

その日の夜、コーヒーを飲もうと共同キッチンに行くと、僕と同じくここに滞在する人たちが談笑していた。ドイツ人とスイス人とスウェーデン人で、彼らは皆語学の教師としてコソボに働きに来ているらしい。これはターミナル付近で大量のWifiスポットの存在を知るまでは全く持ち合わせていなかった発想だが、たった10数年前に凄惨な紛争を経験し、つい4年前に国家としての独立を宣言してゼロからのスタートを切ったこの国には、教育のみならず様々な分野にチャンスが転がっているのだろう。
明日のプリシュティナの散策が楽しみになった。
 
 
 

2012年12月3日月曜日

セルビア初日、2日目

11月23,24日 ベオグラード

 
午前4時半、列車はセルビアの首都ベオグラードに到着した。
駅を出た時、まだあたりは暗かった。ひとまず適当なカフェを見つけ、ブルガリアから一段とその冷たさを増した寒風から避難する。
カフェの店員の接客態度はかなりひどかった。明らかに日本人の僕とセルビア人の客を差別するような態度である。
東欧諸国、特に旧ユーゴスラビアの国々ついては現代の歴史しか頭に入っていなかったため、僕はもともとセルビアに対してあまりいいイメージを抱いていなかった。
もちろん、コソボ紛争など、歴史上の大犯罪とされているような事件を引き起こしたのは当時のセルビア政府であって、セルビアで暮らす人たちの性質とは何ら関係がないことは頭では分かっているが、どうもこういうことがあると頭で抑えつけていた感情が表面に出て来て、その国の人々に対して悪い感情を抱いてしまう。良くない傾向だ。

日が昇り始めたのを見て、あらかじめ予約していた宿へと向かう。
ベオグラードはドナウ川とその分流によっていくつかの陸地に分けられていて、駅から宿までは橋を渡ってかなりの距離を歩かなければならなかった。
長い道中、朝10時頃のベオグラード市内を眺めながら歩いていたわけだが、さっきの一件も相まってどうしてもこの街に暗く寂しい印象を抱いてしまう。
実際、街ゆく人の数は驚くほど少なく、生活感もほとんど感じられず、ここが首都としてきちんと機能しているのか疑いたくなるほどの光景だった。

 
たどり着いた宿はとても小さかった。というか宿というよりは、マンションで一人暮らしをする男性の部屋をお金を払って間借りしているといった方が正しい。
部屋の中は1LDK+客室で、ベッドは全部でたったの4つだったが、客の数はさらに少なく、香港人女性1人だった。
昼間は軽く仮眠をとって、ブログを更新したり、明日の散策のための調べ物をしたりして過ごした。
複数人が狭い空間で生活していると自然と会話の回数も増えるもので、この日の夜は、宿のオーナーの男性と、客は僕と香港人女性、あとたまたま遊びに来ていたオーナーの友人とで、話に華を咲かせた。
その会話の中で、いくつか意外な情報が得られた。どうやら僕が今朝歩いてきた道はダウンタウンからかなり離れた場所で、街の見どころや人の集まる場所はダウンタウンに集中しているらしい。あと、僕以外の全員が口をそろえて、セルビア人は人が良いと言う。まあ言っている過半数がセルビア人なのだが。
ベオグラード、第一印象があまり良くなかった分、明日は意義のある散策になりそうだ。


翌日、朝起きると部屋には誰もいなかった。
だらだらと昨日作ったパスタの残りを口に運びながら、昨夜オーナーが、宿の運営は副業でもうひとつ仕事を持っている、と話していたのを思い出していた。おそらく彼は朝早くから仕事にでかけたのだろう。香港人女性も旅行でセルビアに来ているわけではなく、自社の商品を営業するためにドイツの会社から派遣されてきたキャリアウーマンだ。おそらくオーナーの友人も仕事だろう。
ふと僕は、日本からこれほど遠く離れた国ですら最も非生産的な生活を送る人種になってしまっていることに気付いた。そのことがショックで、なんだか居ても立ってもいられなくなり、慌てて残りの支度を終えて宿を飛び出した。
旅先の街を散策することは、今の僕にできる唯一の活動らしい活動だ。

昨日と変わらず人通りの少ないベオグラード市内を30分ほど歩き、ようやくダウンタウンの中心部にたどり着く。
さすがに一国の首都の中心部ともなると、街の迫力はなかなかのもので、道路の幅は広く、多くの荘厳な建物が道路の両脇に連なり街を埋め尽くしていた。人通りも、今まで訪れたどの国の首都よりも少ないということは置いといて、先程まで歩いてきたベオグラード市内に比べれば断然多くなっていた。
ただ、やはりここでも街が殺伐としたものに映ってしまう。露店で買い物をする人々の陽気な会話や、子供たちがじゃれあう姿、煙草を吹かしながら昼間から仲間たちとお茶を飲む親父たち、そんな光景がなかなか見つけられず、この土地の人々が醸し出す生活感というものを未だに感じられずにいた。
それどころか、街ゆく人たちの表情からなんとも言えない物悲しさを感じてしまう始末である。
これまでの国なら、その地をしばらく歩けば街のいたるところから人々の温かみを感じることができたのに。今回は一体どうしてしまったんだろう。

そんな殺伐とした雰囲気を感じながら延々と歩くのにも疲れ、僕は気分転換にダウンタウンの北部に位置するドナウ川を見に行ってみることにした。
ここに来る際に通った橋の場所まで戻り、ドナウ川の分流沿いをぶらぶらと歩いて北上する。
しばらく歩くと、川沿いで釣りを楽しむ中年男性の集団が見えた。近くまで近づいてその様子を観察していると、彼らの中で一人こちらに気づいてにっこり笑いかけてくれる男性がいた。調子はどう?と尋ねたが、英語が分からないらしい。その代わりに、セルビア語で懸命に話しかけてくれる。すると近くで釣りをしていた人たちもこっちに興味を持って、最初の彼を中心にちょっとした談笑が行われた。
セルビア語で何を話しているのか全く分からなかったが、この国に来てから初めて現地の人々の温かみを感じた瞬間だった。
 
不思議と一度そういう感情を持つと、今までとはまったく異なる光景が目の中に飛び込んでくる。親子3人で幸せそうに歩く姿や、犬を散歩させる女性、川辺でデートするカップル。さっきまで物悲しさすら感じていたベオグラードの街並みが、一転して平穏に満ちた幸せな光景として捉えられるようになっていた。
釣りをしているおやじたちと少し話しただけでその国のイメージが180度変わってしまう僕もどうかと思うが、国に対するイメージというのは、その国を見て何を感じるかだけでなく、どうやらその目に何が飛び込んでくるかということにまで影響を及ぼしてしまうらしい。

そんなことを考えながらあてもなく川沿いをぶらぶらと歩いていると、いつの間にか川の向こう岸に見えていた高層ビルは姿を消して、そこにはただ深緑の木々だけが静かにたたずんでいた。さっきまで見えていた大型の船は見当たらなくなり、代わりに水浴びをする鴨たちが姿を現した。
どうやらドナウ川本流の畔にたどり着いたようである。
そこは本当に静かな場所で、聞こえる音といえば、鴨が水の上で羽をばたつかせる音と岸に停められた小船同士が小さくぶつかる音くらいだ。その静けさが、白く霧がかったの向こう岸の森と、逆光のせいで黒く見えるドナウ川とのコントラストを上手く引き立てていた。
それにしてもベオグラードにこれほど美しい場所があるとは想像もしていなかった。まるで悲しい映画のワンシーンを観ているようなこの風景は、今まで見てきたどの絶景とも全く違ったタイプの魅力を持っていた。
この旅で出会ってきた絶景というのは、壮大な自然であったり、圧倒的迫力の建造物であったり、簡単に言えば、とてもアグレッシブなものばかりだったのだけど、今回はそれとはまったく異なる部類の絶景だ。物凄い迫力で見る者を圧倒するというよりは、特段観る者をうならせるような風景ではないものの、ただ目の前に静かに佇んで、見ている人の心を穏やかにしてくれるような風景だった。それでいて、ずっと見ているとなんだか泣きたくなってくるような切ない魅力も持っていて。
僕の乏しい文章力ではこの良さが全く伝わらないが、とにかくこの風景は一見の価値ありである。こんなタイプの絶景もあるのだとはこれまで思いもしなかったし、どちらかといえば僕はこういうタイプの方が好みだった。

その後、遺跡や郊外の街を見て回ったが、おやじたちと話して、ドナウ川の静かな絶景に出会ってからは、ベオグラードのこの独特の静けさから物悲しさではなく平穏を感じられるようになっていた。
ダウンタウン中心部に戻ると、今度は人々の温かい側面に触れる機会に恵まれた。露店の従業員たちのユーモアを織り交ぜた対応、道に迷った僕に声をかけてくれるおばさんたち、しまいには活気あふれる地元の市場なんかも見つけてしまったり。午前中は全くと言っていいほどそういった場面には遭遇しなかったのに、不思議なものである。

夕方、ドナウ川の分流を眺めることのできるレストランで食事をしていたとき、昨日の朝からずっと曇り空だったベオグラードに夕日が差し込んだ。
その眩しさに目を細めながら、旅をする上で大切なことを教えてくれたこの街に感謝した。



~この日撮った写真~
ベオグラードの街並み。




ちゃんとおしゃれな通りもありました。


有名な、NATO軍による空爆を受けた建物。




ドナウ川。

上からドナウ川。

一番左の顔のでかさに思わず撮影。

ベオグラードは至るところに落書きがあって面白いです。

この家の人最初に気付いた時どんな反応したんやろ。

うまい!グロい!

こんなところに市場が。