2012年12月3日月曜日

セルビア初日、2日目

11月23,24日 ベオグラード

 
午前4時半、列車はセルビアの首都ベオグラードに到着した。
駅を出た時、まだあたりは暗かった。ひとまず適当なカフェを見つけ、ブルガリアから一段とその冷たさを増した寒風から避難する。
カフェの店員の接客態度はかなりひどかった。明らかに日本人の僕とセルビア人の客を差別するような態度である。
東欧諸国、特に旧ユーゴスラビアの国々ついては現代の歴史しか頭に入っていなかったため、僕はもともとセルビアに対してあまりいいイメージを抱いていなかった。
もちろん、コソボ紛争など、歴史上の大犯罪とされているような事件を引き起こしたのは当時のセルビア政府であって、セルビアで暮らす人たちの性質とは何ら関係がないことは頭では分かっているが、どうもこういうことがあると頭で抑えつけていた感情が表面に出て来て、その国の人々に対して悪い感情を抱いてしまう。良くない傾向だ。

日が昇り始めたのを見て、あらかじめ予約していた宿へと向かう。
ベオグラードはドナウ川とその分流によっていくつかの陸地に分けられていて、駅から宿までは橋を渡ってかなりの距離を歩かなければならなかった。
長い道中、朝10時頃のベオグラード市内を眺めながら歩いていたわけだが、さっきの一件も相まってどうしてもこの街に暗く寂しい印象を抱いてしまう。
実際、街ゆく人の数は驚くほど少なく、生活感もほとんど感じられず、ここが首都としてきちんと機能しているのか疑いたくなるほどの光景だった。

 
たどり着いた宿はとても小さかった。というか宿というよりは、マンションで一人暮らしをする男性の部屋をお金を払って間借りしているといった方が正しい。
部屋の中は1LDK+客室で、ベッドは全部でたったの4つだったが、客の数はさらに少なく、香港人女性1人だった。
昼間は軽く仮眠をとって、ブログを更新したり、明日の散策のための調べ物をしたりして過ごした。
複数人が狭い空間で生活していると自然と会話の回数も増えるもので、この日の夜は、宿のオーナーの男性と、客は僕と香港人女性、あとたまたま遊びに来ていたオーナーの友人とで、話に華を咲かせた。
その会話の中で、いくつか意外な情報が得られた。どうやら僕が今朝歩いてきた道はダウンタウンからかなり離れた場所で、街の見どころや人の集まる場所はダウンタウンに集中しているらしい。あと、僕以外の全員が口をそろえて、セルビア人は人が良いと言う。まあ言っている過半数がセルビア人なのだが。
ベオグラード、第一印象があまり良くなかった分、明日は意義のある散策になりそうだ。


翌日、朝起きると部屋には誰もいなかった。
だらだらと昨日作ったパスタの残りを口に運びながら、昨夜オーナーが、宿の運営は副業でもうひとつ仕事を持っている、と話していたのを思い出していた。おそらく彼は朝早くから仕事にでかけたのだろう。香港人女性も旅行でセルビアに来ているわけではなく、自社の商品を営業するためにドイツの会社から派遣されてきたキャリアウーマンだ。おそらくオーナーの友人も仕事だろう。
ふと僕は、日本からこれほど遠く離れた国ですら最も非生産的な生活を送る人種になってしまっていることに気付いた。そのことがショックで、なんだか居ても立ってもいられなくなり、慌てて残りの支度を終えて宿を飛び出した。
旅先の街を散策することは、今の僕にできる唯一の活動らしい活動だ。

昨日と変わらず人通りの少ないベオグラード市内を30分ほど歩き、ようやくダウンタウンの中心部にたどり着く。
さすがに一国の首都の中心部ともなると、街の迫力はなかなかのもので、道路の幅は広く、多くの荘厳な建物が道路の両脇に連なり街を埋め尽くしていた。人通りも、今まで訪れたどの国の首都よりも少ないということは置いといて、先程まで歩いてきたベオグラード市内に比べれば断然多くなっていた。
ただ、やはりここでも街が殺伐としたものに映ってしまう。露店で買い物をする人々の陽気な会話や、子供たちがじゃれあう姿、煙草を吹かしながら昼間から仲間たちとお茶を飲む親父たち、そんな光景がなかなか見つけられず、この土地の人々が醸し出す生活感というものを未だに感じられずにいた。
それどころか、街ゆく人たちの表情からなんとも言えない物悲しさを感じてしまう始末である。
これまでの国なら、その地をしばらく歩けば街のいたるところから人々の温かみを感じることができたのに。今回は一体どうしてしまったんだろう。

そんな殺伐とした雰囲気を感じながら延々と歩くのにも疲れ、僕は気分転換にダウンタウンの北部に位置するドナウ川を見に行ってみることにした。
ここに来る際に通った橋の場所まで戻り、ドナウ川の分流沿いをぶらぶらと歩いて北上する。
しばらく歩くと、川沿いで釣りを楽しむ中年男性の集団が見えた。近くまで近づいてその様子を観察していると、彼らの中で一人こちらに気づいてにっこり笑いかけてくれる男性がいた。調子はどう?と尋ねたが、英語が分からないらしい。その代わりに、セルビア語で懸命に話しかけてくれる。すると近くで釣りをしていた人たちもこっちに興味を持って、最初の彼を中心にちょっとした談笑が行われた。
セルビア語で何を話しているのか全く分からなかったが、この国に来てから初めて現地の人々の温かみを感じた瞬間だった。
 
不思議と一度そういう感情を持つと、今までとはまったく異なる光景が目の中に飛び込んでくる。親子3人で幸せそうに歩く姿や、犬を散歩させる女性、川辺でデートするカップル。さっきまで物悲しさすら感じていたベオグラードの街並みが、一転して平穏に満ちた幸せな光景として捉えられるようになっていた。
釣りをしているおやじたちと少し話しただけでその国のイメージが180度変わってしまう僕もどうかと思うが、国に対するイメージというのは、その国を見て何を感じるかだけでなく、どうやらその目に何が飛び込んでくるかということにまで影響を及ぼしてしまうらしい。

そんなことを考えながらあてもなく川沿いをぶらぶらと歩いていると、いつの間にか川の向こう岸に見えていた高層ビルは姿を消して、そこにはただ深緑の木々だけが静かにたたずんでいた。さっきまで見えていた大型の船は見当たらなくなり、代わりに水浴びをする鴨たちが姿を現した。
どうやらドナウ川本流の畔にたどり着いたようである。
そこは本当に静かな場所で、聞こえる音といえば、鴨が水の上で羽をばたつかせる音と岸に停められた小船同士が小さくぶつかる音くらいだ。その静けさが、白く霧がかったの向こう岸の森と、逆光のせいで黒く見えるドナウ川とのコントラストを上手く引き立てていた。
それにしてもベオグラードにこれほど美しい場所があるとは想像もしていなかった。まるで悲しい映画のワンシーンを観ているようなこの風景は、今まで見てきたどの絶景とも全く違ったタイプの魅力を持っていた。
この旅で出会ってきた絶景というのは、壮大な自然であったり、圧倒的迫力の建造物であったり、簡単に言えば、とてもアグレッシブなものばかりだったのだけど、今回はそれとはまったく異なる部類の絶景だ。物凄い迫力で見る者を圧倒するというよりは、特段観る者をうならせるような風景ではないものの、ただ目の前に静かに佇んで、見ている人の心を穏やかにしてくれるような風景だった。それでいて、ずっと見ているとなんだか泣きたくなってくるような切ない魅力も持っていて。
僕の乏しい文章力ではこの良さが全く伝わらないが、とにかくこの風景は一見の価値ありである。こんなタイプの絶景もあるのだとはこれまで思いもしなかったし、どちらかといえば僕はこういうタイプの方が好みだった。

その後、遺跡や郊外の街を見て回ったが、おやじたちと話して、ドナウ川の静かな絶景に出会ってからは、ベオグラードのこの独特の静けさから物悲しさではなく平穏を感じられるようになっていた。
ダウンタウン中心部に戻ると、今度は人々の温かい側面に触れる機会に恵まれた。露店の従業員たちのユーモアを織り交ぜた対応、道に迷った僕に声をかけてくれるおばさんたち、しまいには活気あふれる地元の市場なんかも見つけてしまったり。午前中は全くと言っていいほどそういった場面には遭遇しなかったのに、不思議なものである。

夕方、ドナウ川の分流を眺めることのできるレストランで食事をしていたとき、昨日の朝からずっと曇り空だったベオグラードに夕日が差し込んだ。
その眩しさに目を細めながら、旅をする上で大切なことを教えてくれたこの街に感謝した。



~この日撮った写真~
ベオグラードの街並み。




ちゃんとおしゃれな通りもありました。


有名な、NATO軍による空爆を受けた建物。




ドナウ川。

上からドナウ川。

一番左の顔のでかさに思わず撮影。

ベオグラードは至るところに落書きがあって面白いです。

この家の人最初に気付いた時どんな反応したんやろ。

うまい!グロい!

こんなところに市場が。

 

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