12月2,3日 ドブロブニク(クロアチア)~スプリト(クロアチア)~アンコーナ(イタリア)
5日もいたドブロブニクを後にし、クロアチアからイタリアへのフェリーが出港するスプリトという港町へ向かう。片道1600円のバスはアドリア海に面した海岸を延々と走り、その素晴らしい景色を見せて続けてくれた。
ドブロブニクは自分にとって忘れられない場所になった。特に3日目、旧市街と海をセットで見ようと、苦労して山を登って探し当てた誰もいない古びた展望台。あそこから、旧市街とその周りに広がる海岸、そして太陽に照らされたアドリア海を一度にまとめて見た時の感動は到底言葉にすることができない。大げさじゃなく涙が出そうになるほどの喜びとなぜか切ない気持と、いろんなものへの感謝が一気に押し寄せた。
「アドリア海の真珠」という呼び名すらも陳腐なものに思えてしまうほどのその素晴らしい風景を眺めながら、自分でも驚くほどの感動を覚えつつ、それと同時に、これほどの体験は一生のうちにそう何度も経験できるものではないのだろうなと思った。
日本に帰って大学を卒業して仕事を始めても、ここにまた来ることはできるけれど、二回目はもう色あせて見えてしまう可能性もある。
それにもしかしたらあの日あの景色にあれほど感動したのは、単にドブロブニクの景色が素晴らしかっただけではなくて、長旅の最中というシチュエーションや、やっと展望台を見つけたという達成感、そしてあの時の僕の心境が絶妙にマッチしたからなのかもしれない。
人生に二度目はないとはよく言われるけれど、あの日ほどそれを痛感した日はない。その時のシチュエーションとか自分の立場や心境でしか出会えない毎日のちょっとした感動をもっと大切にしないと、と思った。
まあドブロブニクは絶対また行きたいけれど。
スプリトに到着し、夕食を済ませ、予約していたフェリーに乗り込んだ。
僕の予約した寝室は3人部屋だったのだけど、客が少ないらしく部屋には僕1人だった。長距離フェリーに乗ったのは初めてだったが、これが想像以上に豪華だった。タイタニック号さながら、というのは少し言い過ぎだが、あれよりも明らかに格下、と断言することもできない。それぐらい豪華だった。レストランにバー、あとダンスホールのようなものまであって、朝食も有料だがバイキング形式でかなり豪勢なものが食べられる。しかも僕は頼んでいなかったのになぜか無料で食べさせてくれた。
なんだかちょっとした高級ホテルに泊まっているような感覚になって、テンションが上がってきた僕は、寝室に荷物を置いてフェリーの中を徘徊した。歩きながら、どう見てもどこかのホテルにしか見えないこの船の内装に子供のように気分を高揚させていた。
そういえば子供のころに家族で旅行をした時なんかは、なぜかホテルで過ごす時間が一番の楽しみだった。ホテルの中の色々な施設を試したり、大浴場ではしゃいだり、ホテル内のゲームセンターで遊んだりするのが楽しかった、というのもあるが、きっと充実した一日を振り返るその時間が心地よかったのだろう。
そしてそれは世界一周をしている今でもあまり変わっていないかもしれない。昼間、外をうろついている時よりも宿でその日一日を振り返っている時の方が満たされた感覚になる。そして明日は何をしようかと考えを巡らせる時間も同じように心地よさを感じる。
一日を振り返って満たされ、明日のことに考えを巡らせてわくわくするような毎日を日本に帰ってからも続けられたらどんなに幸せだろう。なかなかそれは難しいとは思うけれど。もしかしたら今こんな風に思っていることすら忘れてしまうほどに日々の生活に追われてしまうのかもしれない。
と、最後はなぜかネガティブな考えに着地してしまった。
ひとしきり見て回った後、気分転換にデッキに出てみる。
当たり前だけど、そこは身を切るような寒さだった。そして驚くほど暗い。気を抜くとここが海の上だと忘れてしまうほどに海も空も真っ黒で、言いようのない恐怖を覚えるほどだ。
そんな中で遠くでしっかりと輝く灯台だけが、ここが海の上であっちが陸なのだと確認させてくれた。
今は船もレーダーなんかを使ってどこが目的地なのかも確認できるのだろうけれど、昔は船乗りにとって、灯台は本当に重要だったんだろうなとこれまた当たり前のことを思った。
灯台の重要性を実感して満足した僕は、ようやくおとなしく部屋に戻って眠った。
次の日アンコーナに到着してから、ほとんど街の風景を見ぬまま、近くの予約していた宿に向かった。明日からがイタリア本番だ、というよく分からない決まりを作ってしまっていた僕はそのまま宿から出ることなく。一日を終えた。
~この日撮った写真~
出港時、フェリーから見たクロアチアの歴史都市スプリトの夜景。 |
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