2012年11月16日金曜日

ヨルダン2日目 

アカバのモスク

11月9日 アカバ~ワディムサ

ヨルダン2日目。偶然フェリーが同じだった義也さんに過去最上級のホテルに泊めていただき、3カ月ぶりにふかふかのベッドで睡眠を取ることができて、僕は寝坊した。
気持ちよすぎたのもあるけど、どういうわけかヨルダンだけはiPhoneの時計が実際の時間から1時間ずれていた。

急いで支度をし、この日アカバから直接アンマンに行くという義也さんを見送った後、朝食を食べる。

アカバの朝食。イスラエル料理っぽくなってきた。これで150円。

その後、ホテルに戻ってこれまた過去最上級のクオリティのシャワーを浴び、リゾート地アカバの散策に出かけた。

リゾートの後ろに畑。こんな場所でちゃんと育つのかすごく気になった。

ナッツ屋。アカバはナッツが有名でここでは色んな味付けのナッツが売られていた。バーベキュー味が上手い。

ヨルダンではパレスチナ難民が人口の7割を占めていて、色々な都市に難民キャンプがあるらしい。
ここアカバも例外ではなく、海辺の中心地から少し離れて山の方向に10分ほど登ったところにパレスチナ難民キャンプがある。
特に明確な目的もなかったが時間が余ったので行ってみることにした。

キャンプに向かって歩いていくと急にさっきまでのにぎやかなリゾートの賑やかさが嘘のように静かになって、建物も少なくなる。
アカバの市街地が一望できるくらいにまで登った頃に、キャンプへたどり着いた。
僕はよくテレビで見る、沢山の小さなキャンプの集合体のようなものをイメージしていたのだけど、どちらかと言うと集合住宅という感じだった。
大半は大きな塀に囲まれていて、たまに塀に取り付けられているいくつかの扉から、人が出入りしていた。





塀に囲まれていない部分もあり、そこに行ってみる。
海辺で会った人々とは少し身なりが異なり、子供がドロドロの服を着て仕事をしていて、ムンバイのスラムでの風景を思い出した。
人々にはさっきのリゾート地のヨルダン人のようにウェルカムな雰囲気はなく、僕のような旅行者がめずらしいのかじっとこちらを見つめていて、なんだか変なプレッシャーを感じた。
と同時に、自分のやっていることへの罪悪感が湧いてきた。

今回の難民キャンプやスラムもそうだけど、決して望んでこの生活を送っているわけではなく、それでも町から離れて住むしかない人々の生活圏に、社会勉強という名の興味本位で見物しに行く。
それに対して、そこに住む人たちがどう思うのかしっかり考えもせずにのこのこやって来たということが情けなく感じられて来た。

罪悪感から逃げるように足早に難民キャンプを後にした。


出発の支度をして、テンションガタ落ちのままぺトラ遺跡のあるワディムサという町へ行くバスを待っていると、同じくバスを待つベドウィン(よく定義は分かっていないけど、多分砂漠の遊牧民もしくはその子孫)4人が話しかけてくれて、バスに乗る頃には気分が良くなっていた。

両サイドが双子らしい。

待ち時間。

ヨルダンにはセルビスというバスがあって、見た目はミニバスなのだけど、システムが少し違って、出発時間は決まっておらず乗客が集まり次第出発するといった具合だ。
待ち始めてから一時間くらい彼らと遊びながら待っていると、ようやく乗客が集まってバスが出発した。

ワディムサへのバスの中でさっきのことについてずっと考えていた。
本当にああいった場所には興味本位で行くべきではないのだろうか。

自分が彼らのような立場だったら、僕のような旅行者の訪問をどう感じるだろう。生まれた時から自分の祖国はなくて、なぜかにぎやかな街から離れた場所に住み、しかもそこは塀に囲まれている。なぜか貧乏で学校にも行けず毎日働かなくてはいけない。そこに見知らぬ東洋人がカメラをぶら下げて訪れる。

腹が立つような気もするし、それほど気にしない気もする。

実際、彼らがいい思いをしないだろうと僕が感じたのは、僕が無意識に彼らのことをかわいそうと思っているからなだけであって、彼らはあの環境が不幸だと感じていないかもしれない。
もしかしたら、心のよりどころとなる宗教もなく、家族や隣人との関わりも薄く、名誉とか世間体とか様々なものに縛られている日本人がよっぽど不幸だと思うかもしれない。
そう考えると、僕が彼らからウェルカムな雰囲気を感じられないと思ったことに関しても、彼らが不幸だという僕の勝手な偏見がそうさせたような気もしてきて、なんだかよく分からなくなってしまった。

でも少なくとも実際あの場所に行ってこういう風に考える機会を得なければ、彼らは不幸だという偏見を持ったままで終わってしまっていただろう。
結局たいした結論は出なかったけど、ああいった場所を避ければ避けるほどそこに住む人々との距離が遠くなっていくことだけは確かだし、また違った結論が出るまで、彼らへの訪問を続けてもいいような気がした。


バスの中から。ヨルダンの移動中は基本的にずっとこんな風景。

ワディムサの有名宿、バレンタイン・インに到着した頃にはすっかり日が沈んでしまっていた。
宿でビュッフェ形式で夕食が食べられるというのでそれにあやかり、明日のぺトラ遺跡のためにインディーショーンズを観て、眠った。

ビュッフェ1

ビュッフェ2





1 件のコメント:

  1. とても魅力的な記事でした!!
    また遊びに来ます!!
    ありがとうございます。

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