2012年11月22日木曜日

イスラエル3日目

11月15日 ベツレヘム


この日は午前中に溜まっていたブログを書いたり、洗濯をしたりして午後からベツレヘムというパレスチナ自治区に向かった。

ベツレヘムはパレスチナ分離壁とイエスキリストが生まれた教会で有名で、僕もこの二つを見に行った。
ベツレヘムまではエルサレムのダマスカス門の前のバスステーションからバスで30分で行ける。バスの中で爆睡し、一瞬でベツレヘムに到着した。パレスチナ自治区に公共バスで入ると言うのに何も検査がなかったので不思議に思ったが、どうやら自治区から出るときのみ検査が行われるらしい。
バス停に降りて、適当に歩き始める。エルサレムと同じようにいくつかの小山の斜面に街が広がっていて、街のいたるところにベツレヘムの街並みを見渡せる見晴らしのいい場所がある。街はいくつかの古い教会以外は完全にイスラム教の世界で、ムスリムの女性がたくさん歩き、アラブ語の表記や広告、スークというアラブの市場が街道を埋め尽くしていた。
 さらに街の中心部へ行くと、アラビックな音楽が大音量で鳴り響く。3週間アラビアの世界を旅してきて、僕はエジプトに入ってすぐの頃異様な音色に聞こえたこのアラビア独特の音楽やコーランを心地よく感じるようになっていた。

まずはキリストが生まれた場所、聖誕教会へ向かう。先程の賑やかな通りを抜けると、途端に静かで人気のない場所に出る。石造りの家が立ち並んでいるのはエルサレムの旧市街に似ていたが、塀に囲まれた場所に所狭しと建物が並ぶ旧市街とはやはりかなり違った雰囲気で、どこか中世ヨーロッパを思わせるような街並みだった。
民家の前で遊ぶ子供たちがとてもかわいい。パレスチナにはアラブ人ばかりだと思っていたが、金髪の少女やユダヤ人っぽい少年もいて、パレスチナ自治区とはどういう場所なのか、まだまだ勉強不足だと感じた。
しばらくすると大きな広場に出る。一目で聖誕教会がここにあることが分かった。他の教会とは規模が違う。
聖誕教会に入る前に、塩っ辛いトウモロコシを食べながら一休みしていると、近くに人だかりが見えた。そばに行ってみると日本人の音楽団が広場でライブをしていた。実は今日はパレスチナ自治区の自治開始記念日で、彼らは記念日に行われるお祭りに出演する予定だったのだが、昨日のイスラエル軍によるガザ地区への空爆によりお祭りが中止され、仕方なく路上ライブを行っていたというわけだ。

塩っ辛いトウモロコシを何とか食べ終えて、聖誕教会に入る。人一人しか入れないような小さな入口をくぐって中に入ると、中は物凄く天井が高くて、天井からぶら下がる電灯が縦にずらっと並んでいた。いたるところにイエスの人生の様々な場面を描いた絵が張られ、十字架が飾られ、奥には十字架に張り付けられたキリストの像が存在感を放っていた。
他の観光客と同じルートを通って進んでいくと、ザ・教会という感じの場所に辿り着く。
だだっ広い空間の一番奥に巨大なガラス絵が飾られ、床一面に木の椅子が並べられている。教会の中でもここだけはとても静かで、歩き続けて疲れていたのもあって椅子に座って休憩することにした。
僕の他にも何人か椅子に座ってガラス絵を眺めていた。彼らは祈ってはガラス絵を眺め、また祈る。昨日のおじいさんが言ったように、彼らは心と心で神とつながっているのだろうか。
もしそうだとしたら、教会は現実社会から離れ、自分が信じる神というものに最も近付ける場所、つまり彼らが最も心落ち着く場所なのだろうか。
彼らには、いつでも神という精神的なよりどころがあって、いつでも教会という誰にも邪魔されない心休まる場所がある。もし日本人に宗教を信仰する習慣があれば、自殺ももっと少なかったのかもしれない。大半が無宗教である僕らは、彼らが精神的なよりどころとしている神の代わりに地位や名誉、世間体、人間関係といった色んな不安定なものをよりどころにしなければいけないし、教会のような意味でいう心休まる場所というものはない。なんだか少しだけ彼らのことが羨ましくなった。

聖誕教会を後にし、次はパレスチナ分離壁へ向かう。中世ヨーロッパ風の街を通り過ぎ、ベツレヘムの真ん中を走る幹線道路沿いを30分くらい歩いた。歩き始めた時はおしゃれなカフェやレストランが立ち並んでいたが、分離壁が近付くにつれてだんだんと街の雰囲気が悪くなっていった。武装したイスラエルの兵士を頻繁に見るようになった頃、目の前にパレスチナ分離壁が現れた。分離壁は予想以上に高かった。こんな壁で自分の住む町を囲まれたら、誰だって我慢できない。分離壁には有名な落書きのほかに戦争中の難民の子供たちの写真が貼られている。きっとこの壁をただの観光で済ませられる人はいないだろう。分離壁の向こう側に向かって石を投げつける少年たちの姿が印象的だった。


壁沿いをしばらく歩いていると、角を曲がったところで、偶然知っている日本人の方に遭遇した。アンマンのマンスールホテルで出会ったつよしさんとみさとさん。壁の向こうから銃声が鳴りまくっていてかなり怖かったので2人に出会えてほっとした。
分離壁沿いにBanksy専門店がある。Banksyというのはイギリス出身のアーティスト集団で、いろんな場所に落書きをするというスタイルをとることから芸術テロリストと言われている。ここベツレヘムにもBanksyによってイスラエルを批判する内容の落書きが色んなところに描かれているので、そのBanksy専門店の人に頼んで、街中の落書きを車で回ってもらうことになった。僕は最初お金がかかるからやめておこうと思ったのだけど、つよしさんが、日本に帰ったら返してね、と僕の分を払ってくれた。

歩いて行くには相当きつい距離を車で駆けまわって、Banksyの作品を見て回る。エジプトのカイロでも感じたけど、額縁に飾られた作品からは感じられない強いインパクトが、落書きアートからは感じられる。
落書きを見て回る際に貧困地域も通った。そこの住居の壁には無数の銃痕が生々しく残っていて鳥肌が立った。
最後の落書きを見るために分離壁のあたりに戻ってきて写真を取っていると、僕らのいる場所からほんの100mくらいしか離れていないところで突然車に火が放たれ、爆音とともにどす黒い煙が上がった。大勢のパレスチナ人の若者がそこに集まってきていたので、おそらくデモが始まるのだろう。しばらくするとイスラエル軍の車がやってきた。危険だということですぐにそこから離れたのでその後どうなったのかは分からない。
前日のイスラエル軍の攻撃のせいで両者に緊張感が高まっているのか。それともいつもこんな感じなのか。ドライバーの男性はいつもこういうことが起きるわけじゃないと言っていたので前者なのかもしれない。ともかく、ただただ衝撃の連続だった。

バス停で降ろしてもらって、バスでエルサレムまで帰る。バスの中でつよしさんと色んなことを話した。彼は医者で、カウンセリングもやり、海外で学校建設などのボランティアもやり時間さえあれば今回のように旅に出るというとてもアグレッシブな人だ。絵を描くのが趣味で、今回色々感じたことを絵にして、それをカウンセリングにも活かしてみようかと言っていた。
言葉によるカウンセリングだけでは十分な診察が出来ない時があって、そんなときに見る人によって違って見える絵を見せたりしてその人がどんな感情を持つのかを調べるらしい。
思考の部分で問題の本質が見つからない場合は感情の中にそれを探してみなければならない、ということだろうか。
思考と感情と身体は三位一体だからね。と彼は付け加えた。

奇しくも昨日今日と立て続けに「心で感じること」の重要性を説かれてしまった僕は、なんだか悩みを通り越してすがすがしい気持ちになっていた。
今はどうすればいいのかは全く分からないけれど、幸いにも今は旅の途中。少なくとも日本にいる時よりは刺激の多い毎日だし、心で感じると言うことを意識して色んな事を試してみたいと思う。
旅のテーマがまた一つ増えた。

バスがエルサレムに到着し、3人でカフェでしばらく話し、彼らはカフェの目の前にホテルがあるということなので、僕はお別れを言ってオリーブ山のイブラヒムおじいさんの家に帰った。


~この日撮った写真~

聖誕教会。でかい。古い。

聖誕教会の入口。かがまないと入れない大きさ。

聖誕教会内部。

キリストと十字架と色んな絵と。

ザ・教会なところ。

Banksyの絵。

パレスチナ分離壁。思っていたよりもずっと高くて威圧的だった。






Banksy専門店には結構おしゃれな商品がたくさんあった。


定番の。笑

デモが始まって、少し離れて撮った写真。ちょっと分かりにくいけど黒煙が上がっている。


この日一番印象的だった景色。向こうの日に照らされた綺麗な街がイスラエル側。僕らがいるゴミ捨て場の方がパレスチナ側。いつか壁が取り壊される日は来るのだろうか。

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