2012年11月20日火曜日

イスラエル2日目

11月14日 死海とその周辺地域

 
8時にリビングに降りると、この日死海へ一緒に行くメンバーがすでに集まって出発の支度を始めていた。
僕がイスラエルにいた一週間、イブラヒムおじいさんの家にはとても多くの日本人が泊っていて、必然的にツアーなどで一緒に行動する人数が多くなる。この日は総勢11人。旅をしていく中で集団行動の苦手さに磨きがかかっていた僕にはなかなかきつい人数だったが、たくさん人がいれば楽しいのは事実だ。

時間になってみんなでバスに乗り込み。死海へ向かう。ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区を突っ切って、すでに見慣れた丸い土の山の道を進んでいく。死海付近は世界で最も標高低い場所としても有名で標高は約-400mだ。山に登って気圧で耳が変になるのはよくあるけど、湖へ行って耳が変になるのは初めてだった。
僕らを乗せたバスが死海に入れるスポットに到着した。ビーチのようなものはほとんどなく、岩山の斜面のような急な斜面を下りるとそこからいきなり死海が始まるという地形だった。

さっそく死海に浮かんでみる。浮くためにある程度手足を動かさなければいけないのかと思っていたが全然そんなことはなくて、むしろどんなに頑張っても沈めないという方が正しい。だんだん日が高くなってきて水温も上がってくると、ぷかぷか浮きながらこのまま眠ってしまえそうなほど気持ちよくなってくる。塩水が肛門に入って激しい痛みに襲われて我に帰るまでは、知らない間に浮いたままかなりの沖の方まで流されていた。肛門の激痛に顔をゆがめながらクロールをして岸まで戻ろうとするが、死海の浮力のせいで下半身が水の上に浮きあがってしゃちほこみたいな体勢になってしまい、足で水をかけないのでなかなか前に進めない。泳ぎ方をいろいろ試しているうちに、垂直に立って水の中でウォーキングして進むのが死海で一番早く進む方法だという結論に達したので、沖から岸までウォーキングして帰った。岸に戻るとみんなも肛門が痛いのか、しゃちほこで岸まで戻ってきていた。

死海の後は周辺の遺跡を巡った。
遺跡を巡っている途中、物凄い轟音がして振り返るとイスラエル戦闘機が飛んでいた。その時は単純にいいものが見れたとしか思わなかったのだが、その日の夜ネットで、ガザ地区でイスラエル軍が大規模空爆を開始しガザ地区を実効支配するハマスというイスラム組織の幹部が殺害され、子供2人を含む7人が巻き込まれ死亡した、というニュースを見て、戦争のはじまりを見てしまった気がしてゾッとした。

夕食時、イブラヒムおじいさんの家のリビングとキッチンは旅行者で大盛り上がりになる。キッチンで何人かで料理を作ったり、その料理を食べながら談笑したり、語り合ったり。僕もみんなと話しながら夕食を食べ終えた後、自分の部屋に戻ってネットをした。部屋と言ってもベッドはなく、この家で唯一のネットがつながるその部屋のソファを陣取って毎日ここで寝ていた。

いつも決まった時間にパソコンをいじりにこの部屋に来るアメリカ人のおじいさんがいて、話したことはなかったが、この日は何気なくいつも何をしているのかと聞いてみた。彼は日記を書いていると答えたので、僕もブログというものを書いていると話し、しばらく世間話をしていると、いきなり「君は死んだあと天国と地獄どっちに行くと思う?」と尋ねてきた。あまりに唐突だったのでビックリしてしまったが、後日エルサレムの旧市街で現地の人と立ち話をする中で、ここエルサレムでは宗教や神の話を好んで話題にあげるということが分かった。

おじいさんの質問に対し、僕はそんなことを真剣に考えたことはなかったので、回答に困った。そして、虫をたくさん殺しているから、地獄に行くと思います。とあほみたいな事を言った。
でもそんな僕におじいさんはとても丁寧に答えてくれた。おじいさんの話によると、聖書には罪が消えてなくなることはないけれど、神と心と心でつながれば、最後キリストが復活する時に救われてると言う。後から聖書のあらすじを読んでみたけど確かにそんなような事が書いてあった。
そして日本人は神を信じない人が多い、自分の魂が自分のものだと思っている、それは傲慢だ、と付け加えた。
宗教にはもともと全く興味がなかったので、おじいさんの話を真剣に聞きつつもどこか自分とは関係のない話だと思っていたが、傲慢とまで言われるとなんだか言い返したくなり、じゃあどうやって神と心と心でつながるんですか?と聞いてみた。
おじいさんは「心と心でつながるんだからどうやってなどと頭で考えてはいけない、心で感じろ。」とブルースリーのような言葉を残して部屋を出て行った。

そのあと僕は「心で感じる」という言葉に引っかかってしばらく考え込んでしまった。
別に神とつながりたかったわけじゃないけれど、実はこの「心で感じる」ことが満足にできていないということが、この旅を通じての僕の悩みのひとつだった。
この旅で価値観は何度も変わってきたし、やりたいこともどんどん増えていったけれど、それらは何かを見たり聞いたりして、ビビっときたことつまり心で感じたことではない。全て見たり聞いたりした後に自分自身で一度色々考えてみて、その過程で価値観が変わったり、やりたいことが見つかったりしてきた。つまり心で感じたのではなくて考えて導き出した答えと言う感じ。
でも、なんとなくだけど、それだけではいけない気がずっとしていた。心にビビっと来て変わった価値観じゃないと実際に日々の行動に影響を及ぼさないような気がするし、ビビっときたやりたいことじゃないと続かないような気がする。
何より日本で生活する中で自分が知らない間に、心で感じることを忘れてしまっていたのがショックだった。子供の頃は色んなものにビビっと来て、それに対していちいち本気で向き合えたはずなのに。
神を信じる人たちはどうすれば心で感じられるのか分かっているのだろうか。

おじいさんの言葉がなんだか僕への忠告のような気までしてきてしまった。心で感じるにはどうすればいいんだろう。って考えちゃだめらしいけどほんとにどうすればいいんだろう。

その日はもやっとした気持ちの中眠ったが、この悩みは次の日、ある人との会話によって一応の解決を迎えることになる。


~この日撮った写真~

死海を出て登ったところにある休憩所。ここは無料のスポットで有料のスポットに比べれば質は下がるらしいが、そこはさすがイスラエルで、無料でもとても綺麗にされている

一緒に行った人たちが浮く図。

塩分濃度が高すぎて岩もこんな感じで塩まみれに。
遺跡の受付にあったモザイク絵。イスラエルではよくモザイク絵を見かけどれもとても質が高い。遺跡よりもこっちに魅了された。

手ぶれゴッホ。

初めて見た「BIG AMERICA」というメニュー。大きさも肉の厚さも普通の倍くらい。1200円もするのに頼んでしまった。

 

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