11月17日 ラマットラヘ―ル
昨日写真を撮りまくったアメリカ人の女の子がパソコンの動画を見て爆笑する声で目が覚めた。
今日はキブツという場所に行く予定だ。キブツというのはイスラエルに200箇所以上ある共同生活圏で、そこには住民の住居、学校、病院、公園、畑など基本的な生活に必要な施設は全てそろっている。さらには映画館やスポーツセンターなどもあって、見た目だけなら普通の小さな町となんら変わりがない。人々はそこで農作業をはじめとする町を運営するための様々な仕事を行い、給料は出ない代わりに食料や衣服、生活に必要なものは全て配給されるというシステムで、あくまで僕の理解だけど簡単に言えばミニ共産主義社会だ。
僕はキブツにとても興味があって、本当はボランティアとしてここで2,3日暮らしてみたかったのだけど、ボランティアは最低30日からの募集しか行っていなかったので、今回は町の様子を見て回るだけだ。
イブラヒムおじいさんの家はオリーブ山という山の頂上付近にあるので、歩いていく場合、旧市街全域を見渡しながら坂を下ることになる。オリーブ山というだけあって道の両脇の並木はオリーブの木だった。普通に道端にオリーブの実がごろごろ落ちていて、この地でオリーブオイルを使った料理が広まるのもうなずける。
旧市街のダマスカス門の前のバス停に行き、キブツのあるラマットラヘ―ルという場所に向かうバスを探す。直接ラマットラヘ―ルに向かうバスはないらしく、とりあえずベツレヘム行きのバスに乗せられる。バスの中で周りの乗客にラマットラヘ―ルに行きたいと言い続けていたら、周りの乗客がどこで降りるのがいいのか話し合って、降りる場所に近づいたらを教えてくれることになった。
僕が降りる場所を尋ねたのをきっかけに周りの乗客たちが世間話を始め、僕がバス降りる頃にはすごく打ち解けていていて、なんだか嬉しかった。
タクシーに乗るお金はないので基本的に移動はどの国でもバスを使うが、バスの中でのやり取りが面白いというのも僕が好んでバスを選ぶ理由のひとつだ。
バスで行き先を尋ねると、その国の親切の仕方が分かる、というのが僕の持論だ。タイのバスでは行き先を尋ねると、周りの乗客の中から同じバス停で降りる人が名乗り出て、一緒に降りてくれる。インドのバスでは降りる場所を尋ねると、相手が答えた後は僕が降りるまでずっと質問攻めだ。エジプトのバスの乗り口で行き先を確認すると乗客全員が一斉にその名前を叫んでくれる。
旅行して現地の人の親切心に触れてみたいなら、ローカルバスに乗ってみるのもありと思う。(女性は、女性の隣に座る、など注意を払う必要があると思うが)
降りる場所を教えてくれた人たちにお礼を言ってバスを降り、ラマットラヘ―ルに向かう。降りた場所は小高い山の頂上付近で、目の前にベツレヘム、後ろにエルサレムの街が広がっていた。目の前にラマットラヘ―ルの看板があってその方向へ歩き、10分程歩いたところでラマットラヘ―ルのキブツにたどり着いた。
しかし、今日は土曜日。ユダヤの安息日であるためキブツも今日は休日らしく、門が閉まっていた。ここのキブツはフェンスで(多分)町全体を囲んでいて、軽く歩き回って見たところ入口はこの門だけらしい。
とはいえ警備員がいるわけでもなく、偶然外から帰って来た車がキブツに入る際に門が開いたので、僕も一緒に忍び込んだ。
とりあえず適当に町を散策してみる。とても緑豊かな土地で、道端は綺麗にガーデニングされていた。集団生活といっても各々で自分の家はもっているらしく、そこらじゅうに家とその庭がそれぞれ個性をもって並んでいた。
キブツでは週6日労働と決められていて、みんな同じ時間同じタイミングで働くらしい。逆に言えば、休みの日はみんな一斉に休むので、この日の町は本当に静かだった。僕は1時間くらい歩きまわっていたのだけど、その途中出会った人は10人以下で人の話し声は聞こえない、聞こえるのは鳥のさえずる音と並木の葉っぱがこすれる音だけだ。多分静かさで言うと、ラダックのヌブラ谷と肩を並べるレベルだろう。
話す人もいなかったので、黙々とキブツを練り歩いて、予定よりもかなり早くキブツを後にした。
畑に、学校に、スポーツセンターなど、本当に普通の町と変わらないくらい様々な施設がそろっていた。むしろ小さな空間にいろんな施設が凝縮されていて、移動の億劫さもないだろう。
でも、自分がここに暮らすことを想像してみると、おそらく耐えられないだろうなと思う。食いっぱぐれもなく、何の不自由もない生活ができるが、まず共同生活というのが合わない気がする。僕は、というかほとんどの人は、できればご近所付き合いなんて気にせずに気の合う人たちとだけつるんでいたいし、仕事で毎日同じ人たちと同じ作業をするというのもかなりきついだろう。それにもっと様々な仕事を経験してみたいし何か新しいことに挑戦したいとも思うようになるだろう。
もちろん共同生活や食いっぱぐれることのない暮らしがセーフティネットになるケースもあると思うけど、そこを無視するならば、少なくとも僕はこの生活には耐えられない。
多分共産主義というのはそういった人間の人間的な部分を無視して出来上がってしまった思想で、反対に資本主義は今まさに僕が無視したセーフティネットの部分を同じように無視して出来上がった思想なのかな、なんて思ったりした。
そこのところを住民の人々はどう感じているのか、ここの人たちと話す中で感じたいと思っていたのだけど、今回は残念ながら、自分の中で考えを巡らせることしかできなかった。もし機会があればボランティアにも参加してみたい。きっとこの考えも少しは変わるだろう。
そんなよく分からないことを考えながらの帰り道はとても早く感じ、気がつくとエルサレムに到着していた。
明日は引きこもっていろいろ調べ物をすることにしていたので、家に帰る前に旧市街で回っていない場所を回ってみた。旧市街のユダヤ人居住区、ムスリム居住区、アルメニア人居住区は既に訪れていたので、キリスト教徒居住区を歩いた。
どこか他の場所よりも洗練されている雰囲気で、道も綺麗で人々も落ち着いている。建物が橙色に照らされる夕暮れ時に、教会の鐘の音色に包まれながらのんびり歩くのはなんとも心地よかった。
日が暮れるまで歩き、スークで新しいサンダルを買って、イブラヒムおじいさんの家に戻った。明日はイスラエル最終日だ。
~この日撮った写真~
エルサレムの街角にある屋台にて食べられるサンドイッチのようなもの。羊のレバーとピーマンと玉ねぎをナンようなものではさんで食べる。 |
バスを降りた場所。前方に見えるのがベツレヘム。 |
キブツの施設集、バスケットコート。 |
多分幼稚園。 |
住宅。 |
スポーツセンターも。 |
農場。 |
旧市街、キリスト教徒居住地。 |
全体的にとても綺麗だった。 |
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